2012年1月1日日曜日

1. テスト内容と趣旨

文字の保存性とインクの劣化について
書いた文字の保存性を考えるには、まず、文字が消える状況、つまりインクが劣化する状況を考える必要があります。以下、経時劣化と故意による改ざんの場合を考えます。

経時劣化について(長期保存)
これについては、国立公文書館での調査が参考になります。これは、平成12・13年度に、国立公文書館が所蔵の公文書等について、劣化状況を調査したもので、調査の詳細な報告と、それにもとづいて平成14年に作成された保存対策マニュアルが、公開されています。


報告の内容としては、インクよりも、紙などの媒体の損傷劣化についての記述が多いのですが、インクについても、劣化する主な状況として、「インク焼け」、「退色・変色」、「油じみ」などが記述されています。

「インク焼け」とは、ブルーブラックインクなど酸性度の高いインクが、時間が経つと紙等を侵食して、穴をあけることです。欧米の没食子インクを使った文書では、多く見られるもののようです(http://en.wikipedia.org/wiki/Iron_gall_ink)。もっとも、上述の調査では、ブルーブラックインクでも、文字部分が抜け落ちるほどの顕著なものは見られなかったのとのことなので、余り心配する必要はないかも知れません。また、現在のインクは基本的に中性なので、普通のインクを使う場合は、この点はほとんど問題にならないと思われます。

「退色・変色」とは、インクの色が薄くなったり変わったりすること全般を指し、理由は様々です。上述の調査でも、分類は困難とされており、原因を一言で言うことは難しいでしょう。もっとも、現在使用されているようなマーカー等については、背表紙に書かれた部分が退色していたとの記述があり、光が原因であると推測されるものもあります。無機顔料を使ったインクが、この点は優れていると予想されます。

「油じみ」(注1)とは、インク中の油分がにじんでくるものです。油性ボールペンなど油性インクで見られることがあるようです。もっとも、報告書中では、油性ボールペンは「保存性はよい」とされており、読めなくなるようなものは少ないようです。


(注1)なお、この「油じみ」に関しては、個人的には、油分がにじんできたというよりは、染料が広がったと捉えるべきではないかと推測しています。
確かに、油性インクに使われている油分(溶媒)は乾燥が遅いため、筆記後、一見乾燥しているように見えても、実は紙に浸透したことにより乾燥したように見えているだけということがあります。この場合、時間が経つとさらに溶媒の浸透が進み、染料が分離してにじむことがあります。しかし、筆記後、数週間以上経てからにじむような場合は、つまり長期間の保存でにじんでくるような場合は、溶媒は既に乾燥しているはずです。この場合、溶媒がにじむのではなく、空気中の水分等により染料が分散することで、文字がにじんで見えるというのが、自然ではないかと思います。
こう書くと、油性インクが水分によってにじむことなど無いのではないかと考える方がいるかも知れませんが、C. 耐水性テストの結果を見ればわかるように、油性インクに使われている染料も、水分によってにじむことは往々にしてあります。

故意による改ざんについて(改ざん防止)
海外では、Check Washingという詐欺の類型があります。

これは、小切手(Check)を洗浄する(Washing)ことで、金額等について書かれた部分を消してしまい、内容を改ざんするというものです。小切手を多用する欧米では、年間でかなりの被害が出ているそうです。

鉛筆ならともかく、ボールペンなどで書かれた文字を消すことはできないのではないかと思う方もいるかも知れません。しかし、多くの油性ボールペンは、油性染料をアルコールと類似した溶媒に溶かしたインクを使っています。つまり、アルコール等の溶媒を使えば、洗い流すことができるのです。油性ボールペンは、水には強いことから、筆跡も頑強な印象を持たれがちですが、実際には、もっとも改ざんされやすいペンの一つとなっています。

また、インクでは問題になることは少ないのですが、摩擦による文字の消去も考えられます。インクの浸透が少ない場合では、表面の摩擦によって、文字が消えることがないともいえません。

テスト方法
そこで、テスト方法について考えます。

この点については、JIS規格(S6039「油性ボールペン及びレフィル」、S6054「水性ボールペン及びレフィル」、S6061「ゲルインキボールペン及びレフィル」)が参考になります。これら規格では、公文書用各ボールペンの品質項目において、耐水性、耐光性、耐消しゴム性、耐アルコール性、耐塩酸性、耐アンモニア性、耐漂白性を定め、それに応じたテストをしています。これは、前述の各原因に対応したものと考えられ、これらの項目についてテストをするのが望ましいと思われます(注2)
 
(注2)
なお、顔料インクについては、定着剤の分解後に洗浄する方法による除去が可能なはずであり(衣服のクリーニングについてはこの方式が利用されているようです)、JISのテストではこの点までは考慮されていないように思います。しかし、身近な薬品では紙を傷めずに定着剤を分解・洗浄するのは難しいと思われるため、あまり心配しなくて良いのではないかと思います。
 
実際に行なったテスト
もっとも、テストには難易度の高いものもあるため、とりあえず、簡単にできる以下のテストに限定して行うことにしました。
 

A. 耐光性テスト
…光による退色を測定(長期保存向け)
B. Anti Check Washing Test
…アルコール、アセトンへの耐性を測定(改ざん防止向け)
C. 耐水性テスト
…水によるにじみを測定(改ざん防止・長期保存向け)



A. 耐光性テストでは、光による退色具合を調べました。光による退色は蓄積していくものですから、
長期間保存する場合を考慮したテストと言えます。本来ならブルースケール(退色を図る基準となる青色染料布を使って測定するべきでしょうが、入手が面倒だったので相対的な比較にしました

B. Anti Check Washing Testでは、アルコールとアセトンに対する耐性を測定しました。アルコールとアセトンを選択したのは、Check Washingに、これら2種の溶媒が使われることが多いらしいからです。

C. 耐水性テストでは、水によるにじみ具合を調べます。水に濡れた際の耐久性を調べるという意味では、短期保存や改ざん防止という点からのテストになりますが、前述のように、空気中の水分等により染料がにじむという問題についても、その傾向をつかむことができるため、長期保存の点からのテストとも言えます。



※(余談)ボールペンの分類について
ボールペンの分類は、一般に、油性、水性、ゲルというように分けられています。ですが、これは、溶媒による分類と、インクの状態による分類を混同しているように思えます。厳密に言えば、溶媒による性質により油性・水性を分け、インクの状態による分類によりゲルか否かを分けるべきではないでしょうか。また、色材が顔料か染料かによって、インクの保存性は大きく異なりますので、この点も加味すべきだと思います。

よって、以下のように整理すると、分かりやすいと思います。

もっとも、JISの分類では、このような定義はされておらず、粘度と、筆記時の粘度変化を組み合わせた分類が行われていますS6039「油性ボールペン及びレフィル」、S6054「水性ボールペン及びレフィル」、S6061「ゲルインキボールペン及びレフィル」)。まとめると、以下のような図になります。

これによると、定義上の空白が2箇所できます。

まず、粘度が20mPa・s未満で筆記状態と静止状態のインキの粘度の差が大きい場合は、もともとインク粘度が低いため、通常の水性ボールペンと性質の差を感じることができないでしょう。これは水性ボールペンと呼んでも差し支えないかも知れません。

しかし、粘度が20mPa・s以上1000mPa・s未満で、筆記状態と静止状態のインキの粘度の差が小さい場合は、なんと呼ぶべきかが問題になります。最近の低粘度油性は、ここに該当するものもあり、JISの定義上は、油性ボールペンではないということになります。もっとも、現段階では、油性ボールペンに分類するメーカーが多いようです。


個人的には、ゲルインクボールペンは、リフィル内では粘度が高いにもかかわらず、筆記するときには滑らかなインクとなるチキソトロピー性があること、つまり筆記状態と静止状態のインキの粘度の差が大きいことに本質があると考えています。なぜなら、この粘度変化こそが、水性では滑らかな書き味とにじまない描線を両立した要素であり(ボールサイン「開発までの道のり」(サクラクレパス))、油性では加圧に耐えるインクを実現した要素であるからです(About Fisher Space Pen」(Fisher Space Pen))。

以上を元に、簡易な分類を作ると、こうなります。

本テストでは、概ねこの分類に従って、ボールペンを分類しています。例えば、低粘度油性は、JISでは定義外になる場合でも、チキソトロピーが大きくない限りは、油性ボールペンに分類します。

なお、顔料染料の区別も組み合わせると、以下のようになるかと思います。

油性染料顔料混合ゲルとしては、フィッシャー以外にパワータンクも含まれそうですが、断言できなかったので、入れませんでした。なお、フィッシャーのリフィルがチキソトロピー性を利用したものであることを、テスト開始時点で知らなかったため、このテストでは、フィッシャーは油性ボールペンに分類されています。

スラリは、「油性のしっかりした手ごたえと、ジェル(水性)のさらさらした軽さを兼ね備えたエマルジョンインク」搭載を謳っており、ゲルか油性か迷うところです。しかし、特許公報を見る限り、分散質として水性ゲルインキ、分散媒として有機溶媒という、油中水滴型エマルションとはされているものの、チキソトロピー性については言及がありません(特許公開2009-185153、特許公開2010-222440)。油性成分の割合は6~7割程度のようなので、インク全体としてはチキソトロピー性を利用していないのではないかとの理由で、ここでは油性インクに分類することにしました。



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